私のことと、私が伝えたいこと。

いじわる娘だった私。

小学校2年生のとき、私はよくあるクラスの女の子のリーダー的存在でした。常に3人くらい友達が一緒に付き添ってくれていました。

ある日、髪の長い(当時の私はそんなに長くない)茶髪(当時の私は真っ黒)の女の子が転入してきました。私は気に入らなかったので

友達を巻き込んで嫌がらせをしました。

お団子ヘアのその子に対して「頭にうんこ乗っけてるみたいやな!だって茶色やもん」といい続けたり、生活科の勉強で外で花壇を触ってる時に、わざとその子の上に砂を落としたりしました。

先生や親からはそれがバレて叱られまりました。もちろん私も幼いながら、反省はしました。やっぱり先生に怒られるのは嫌だったし、怖かったからです。

でもこの時の経験があとあと、先生をする時の私の貴重な価値観?になっています。

ここまでは私が悪いことをしてしかられた。反省した。で終わりだし、私も何も思わないし自分が悪いと今も昔も思っていました。

ここからです。

私はその時担任の先生に何時間も一人だけ立たされみんなの前でひたすら叱られました。他の子は全くで私だけ。そして、その時の先生は何1つ私に聞きもせず、ひたすら叱り続けたんですがその時に

「悪いことするのって先生の前でいい子ちゃんごっこしてる賢い子ばっかりだわぁ」って。2年生なんて先生が全て。そこから私は逆にみんなから悪口を言われまくるようになりました。「お前最悪やぞ」「いいこぶるなよ」って。教育者は、そのような二次災害的な配慮はするべきだし、必要以上にみんなの前で叱るべきではないなとも思います。したことを叱られるのはいいですが、その子個人を否定するような言い方はダメだと思いました。挙げ句の果てに、当時の学級通信のその週のタイトルが「表の顔、裏の顔」何を先生が伝えたいかわかりますよね。その当時は悲しくてかなくて、私そんなにあかんことしたんやってしょんぼりしてたんですが、今思うと最悪な教師です。問題になった子がどんどん自信をなくすような指導、悪いお手本をクラスに見せて、こうなったらダメよと指導する先生。そのおかしさに気づかない純粋な子供。この時の経験から私は、もちろんダメなことは叱る。でもその子を否定しないし、クラスの子がその子へのイメージを悪くさせないような配慮は全力でする。ことが私の大事な教育観の1つになりました。私が先生をしていて、割とクラスのやんちゃ君など問題児扱いされる子供たちの心をつかむのが得意なのは、この時の経験があるからだと思います。

先生が嫌いだった私。

私は小学校の先生だったので、よくみんなに「いい先生にいっぱい担任してもらったんやね。私全然やったから先生にいい思い出なんかない」ってよく言われます。でも私も先生は大嫌いでした。中学から素敵な先生に恵まれましたが、それでもそんな先生は3人ほどです。特に小学校の間の先生は今客観的に見てもまともな先生はふたりくらいでした。

例の二年生の時の学級通信の先生、

3年生の時は男の子をやたら贔屓してその男の子の家に通いまくる先生、4年生の時はクラスのやんちゃ君に負ける先生、6年生の時はクラスが完璧崩壊。最悪な卒業式。何にも感じなかった。嫌いとゆうか興味がなかったです。だから話さないといけない時は話す。宿題忘れました、とか、トイレ行ってきますとか、そんなことだけ。だから先生をしていて、休み時間でも先生センセ!って寄ってくる子供をすごいなって本気で思います。私はなるべく話したくなかったから。

最悪な卒業式。

私の小学校の卒業式は最悪でした。1学期から学級が崩壊していたからです。見事な崩壊です。みんな立ち歩く、寝る、手紙を交換する。PTAの保護者さんが見にくる時は静かにする。先生が責められまくる。今思うと、とても私たちを可愛がってくれる先生でしたが今ひとつ、厳しさに足りないような仲良し先生な感じでした。そこからだんだん、臭い、きもいなどと行ってみんな先生を遠ざけたりしました。それだけでなく先生の給食をいろんな物を混ぜてぐちゃぐちゃにしたり、カレーに絵の具を混ぜたりしました。臭いからと行って口臭消しのスプレーをプレゼント(もちろん嫌味で)する子もいました。私は正直、その先生に対しては好きでも嫌いでもなく、正直荒れてはいるけど今までの先生と同じような感じだったので、みんなが特別嫌がる理由はあんまりわかりませんでしたが、周りに合わせて歩い程度距離を取っていました。今思うと、本当に申し訳なかったし、最後まで続けてくれているだけですごかったと思います。

だから卒業式は最悪でした。感動も何もない。思い出せる光景は、みんなが花道で退場する時、本ま先生キモかったなって言いながら笑いあっていた光景です。

こんな経験でよく先生になりたいって思ったねってこの話をすると、よく言われます。だからこそ、なのかなと思います。どの先生が担任になるかって親や子からすれば、ある意味最大のギャンブル。宝くじ。決められない。だからこそその素晴らしい確率で出会った子は全力で育てる愛する守る。それがずっとあるんだと思います。

生まれてこなければよかった。

私は両親が私が幼稚園の頃に離婚していました。

でもそれを小学校卒業のときに知らされました。

なので6年以上私はそんな大事なことを知りませんでした。両親の卒業までは黙ってあげたいとゆう優しさだったと今では思います。

でもその事実を知らされたのは、卒業式の終わった午後。家族でご飯を食べている時でした。

卒業式のあとって、それだけで新しい友達できるかなって不安だしメンタルも不安定な時期。そんな時に大事な家族が離婚していてしかもそれに気がつかず6年間も過ごしていたことに、ショックを受けました。

私はなんで生まれてきたのかをひたすら考え、自分の存在価値をひたすら否定しました。今でもたまに、一人になるとものすごく孤独になるときが無意識にあって、きっとあの時の気持ちがまだどこかに残っているのかなって思います。

だからこそ、離婚で女性が新たなスタートを切って幸せになることも応援したいし、今となっては母親も一人の女性だから新しい人と出会って幸せになることに否定はありません。でも、子供は一生、後遺症のように心に傷を作ります。もちろんその中でもみんな幸せに生きているし不幸だとも思いません。でも本来受けなくていい傷を受けてします。それは消えたと思って深い深い潜在意識の部分で絶対残ってる。しかもそれが恋愛や友人関係にかなり影響を与えています。だからこそ、私は子供も女性も幸せになる選択肢を探したいと綺麗事ですが思います。

いじめっ子が、いじめられっ子に。

そんな私ですが中学生になり、いじめにあいました。

中学二年生の時です。仲良くしてくれている少しギャル系の女の子たちがいて、私は当時おとなしかったのでそんな友達はいなかった。でも少し憧れはあったので、仲良くしてくれるのが嬉しくて一緒にいました。関西あるあるかもしれないですが、いじるいじられるポジションってあって、当時の私は完璧にいじられる側。でも別にその文化は昔からあったし、特に何も思ってませんでした。たまにきついなって思うこともあるけど、深く気にしていませんでした。でも、だんだんエスカレートしていってノートに落書きされたり、黒板にも書かれました。当時、付き合っていた彼氏も「つうちゃんは愛されキャラやな」とかって気づいていませんでした。どんどんエスカレートし、ついにいじめは、その時の彼氏と別れてからは彼からもいじめに会いました。好きな人に振られるだけなら誰しも経験あると思いますが、好きな人、元彼にいじめられる気持ちってわかりますか?想像したことありますか?壮絶でした。トイレに逃げたこともありました。そしたら個室の中にトイレットペーパーを投げ入れられました。休みの日は、わざわざ家に来て、あそぼーって声かけてきました。この時初めて、親に学校行きたくないと言うようになりました。残念だったのは、ここでも先生たちの対応でした。

プールの学習の時、自由時間に5人くらいの女の子に本気で沈められかけていたので私はプールサイドに上がって、泣きそうになるのをこらえて、わざと冗談っぽく「先生ーみんな沈めてくるからほんまきついわぁ笑」って必死に気づいて助けてってアピールしました。でも返ってきた返事は「ほんまあんたは愛されキャラやなぁ」でした。もう大人なんか信用するか。って何も見てへん大人は。って思いました。

担任のラグビー部ゴリゴリ体育会系先生もそんな感じでした。

休み時間はほぼ職員室にいるし、そりゃ気がつかないですよね。

でもこの後のある先生の態度で私は先生を信じれるようになりました。

私の入っている吹奏楽部の顧問の音楽の先生でした。音楽の先生ですが男性で生活指導のゴリゴリの先生でした。その先生にはなぜか話が入っていて、部活中呼び出されました。「なんか俺に隠してないか?」と。話をすると「何で言わんかってん!!」とすごく怒られました。でもその時の先生の目はうっすら滲んでいました。その時に私は初めて大人に全部話しました。何で、担任が気づかず顧問が気づくんだろう。普通逆やろ。。と。

音楽との出会い。

1年弱いじめは続いていましたが、私はそれでも休まず中学へ行きました。なぜ通えたかと言うと部活が大好きだったからです。もちろん、顧問の先生が気づいてくれたことでマシにはなったしもっと部活が好きにはなったけど、その前でさえも部活がだいすきでした。それは、大好きな吹奏楽、クラリネットとゆう楽器と出会ったからです。

私はもともとピアノもすぐやめちゃうし、やりたいことも何もなかったので入学した当初に仲良しの友達と見学に行ってそのまま陸上部に入りました。でも元から好きではなかったし、女の子も少なくて友達関係で辞めました。さぁどうしようと思った私は、またもやその時仲良かった友達がいる吹奏楽部に途中入部しました。(と言っても1年生の5月です)楽器はいくつかしか残っていませんでした。それで私は中のいい子がいるという理由と安くで楽器を買える理由でクラリネットにしました。正直、「うわリコーダーやん、ださ」と思っていたので、練習も適当。サボりまくりでした。もともと部活時代のレベルもかなり低かったのに、その中でもダントツワースト1。でもそれに対して悔しさもありませんでした。

でもある日、たまたま、本当にたまたま、誰も難しくて演奏できない部分を私ができるようになったんです。そしたらみんな「うわ!つうちゃんができてる!すごい!うそやん!」と半ば失礼ですが褒めてくれました。この時私は人生で初めて私もできると言うことを実感しました。それからはその快感がたまらなくなって、そのためだけに無心に練習しました。すると2年の終わりには1番上手くなり、私の人生を買えることになった吹奏楽名門高校への推薦を目指すようになり、音大受験のために新しい楽器も買っていました。もうこの時は音楽のために学校に行き、家に帰ってCDを聴いてこんな音を出せるようになりたいとひたすら思い、家でまた練習。そんな日々でした。たまたま陸上部で友達と喧嘩し、たまたま仲良かった友達のいた吹奏楽部に入り、たまたま空いていたクラリネットを担当することで私の人生はびっくりするくらい幸せになりました。このとき私に芽生えた感情は、音楽だけは私を裏切らない。このことでした。

可愛くなりたかった。

私は、昔からいじめられた経験があるのもあってか、見た目にコンプレックスばかり抱いていました。眉毛が濃い、歯並びが悪い、お尻が大きい、足が太い、髪の毛が硬い、目が嫌いなどなどです。高校、大学と進むにつれて自分をよく見せる方法を知っていくので徐々にそのコンプレックスも薄れましたが、私の根本はコンプレックスの塊でした。

輝かしい青春時代とディズニー。

私は中学で音楽に目覚めたので、京都にある吹奏楽(主にマーチング)の名門校に部活推薦で合格しました。朝練も昼練も夜練も毎日。おやすみは大晦日と元旦のみ。1月2日には演奏会がありました。土日はほぼ毎週本番がありました。人数は100人越え。マスコミにも取り上げられるほどの名門校。化粧はおろかストレートアイロンも眉毛も禁止。スカート丈をいじるのも禁止。毎日の英語の小テストで赤点をとると部活に遅れるので、絶対勉強も真剣にしないといけない。授業で寝ていると先輩から叱られる。常に学校のお手本でなければいけない。先輩は神様。先輩の前では一切喋ってはいけない。先輩が通ったら道を開ける。などなど壮絶な部活の規則がありました。大きなティンパニやバスドラムを二人で、運動場で靴下のまま、重くて泣きながら走り、もし楽器を揺らすと怒られる。練習時間を確保するために素早く丁寧に打楽器を運ぶ。しかもその運ぶスピードが尋常じゃない。そんな伝説の部活でした。(実際その様子が雑誌に取り上げられてます)

でもそんな中でも強い憧れがあったので、高校球児のようないや本当にそれ以上の青春を過ごしました。全国大会や京セラドーム、宝塚の舞台などでも演奏演技をしました。中でも1番心が感動したのは、カリフォルニアのディズニーランドでパレードをしたことです。1ヶ月遠征でアメリカに行っていたのですが、その中の大部分をディズニーで演奏していました。大好きなエレクトリカルパレードの先頭で演技できる。後ろを見るとミッキーがいる。大好きなディズニーソングを演奏できる。手を振るとみんな振り返してくれる。ハイタッチできる。ここで私は音楽はエンターテイメントなんだと実感しました。また、アメリカのホストファミリーとの経験でアメリカの人の楽しい気質、全力で音楽などを楽しむ姿勢に惚れ込みました。

この時音楽の指導をしてくれている先生が大好きで、この人は本当にミッキーみたいに感動をくれる先生だって本気で思いました。この時に私ははじめて音楽が好きな自分みたいな子供に音楽の素晴らしさを伝えられる指導者(先生)になると決めました。

音大を一度辞める。

こんなに音楽の魅力にハマった私はすでに1年生の頃から音大にいくと決めました。そこで先輩たちも入学した大学に私も無事入学しました。でもわずか半年で退学することになります。その理由は2つあります。1つは、卒業して取れる資格や学べる内容が私の目指すものとは少し違いがあったこと。でも正直それは言い訳?でもあり1番の理由は恋愛です。ここから私は恋愛こじらせ女になっていくのです。私は初めての大学、初めての一人暮らしで不安がたくさんで当時の彼氏が親でもあり、親友でもあり彼氏でもあるくらい大きな大きな存在でした。年上の先輩だったのでそのおかげで大学のことがわかったし、自分の好きな音楽が得意な人はそれだけで魅力的。もう今思うと気持ち悪いくらい好きでした。前にも後にもこの人ほど熱中した人はいないと思います。でも今思うとそれはただの執着の塊だったかもと思います。彼と別れてから私は恐怖と不安で毎日泣いてばかりで実家にも毎日電話、心配して家族も大阪から来てくれました。いじめも音楽の力で乗り越えることができたのに、大好きな人を失った悲しみはその大好きな音楽でも取り除くことができませんでした。このままだと自分がどんどんダメになると思ったので、私は大学を辞めることを決意し、大阪に戻ります。そしてその間大好きなアパレルの仕事をしながら新しい大学の受験練習と大学費用を稼ぐため頑張り、よく年大阪の音大に入学しました。男のために辞めるなんて馬鹿げてると思いますよね。私も今でも思います。でも、その結果私は小学校の先生になれることになるんです。その大学では小学校の免許は取れません。なのであの時私を降ってズタボロになったことは意味があって、6年間大好きな仕事をすることができたので今は感謝しかありません。

恋愛不信。

大阪に帰った私は大好きな服の仕事ができるし、19歳だったので先輩たちにも可愛がられ女性の特有の派閥もなく、お客様からも可愛がられ、そのままうちで就職したら?とも言われましたが、私は音楽の先生になります!と言っていました。今でも服が大好きなのはこの経験があるからだと思います。

ただ、帰ってきて1番変わったことは恋愛に対して恐怖心ばかりになってしまったこと。今ではもうそんな時代本当にあったの?くらいになってますが、結構本気で、こんな思いをするなら恋はしない。好かれても心は開かない。男性みんな敵。男性は私を苦しめるだけ。そこまで思ってました。なのでしばらくはせっかく好意を伝えてくれても素直に受け取れない時代が続きました。この時の経験は常に頭の中に蘇るので、よっぽど大きな経験だったんだと思います。だからこそ、女性には幸せになってほしい。と本気で思っています。こじらせ女子はもちろんですが、愛されるわけないと思っている女性を救いたいって思います。最近では恋愛相談のお仕事もする中で、「コミュ力高いし可愛いから苦労したことないでしょ」とかも言われますが、いやいや常にこじらせてます。こじらせてないなって思ってお付き合いスタートしても結果こじらせてしまったり、相手がこじれたりいつまでたっても発展途上です。でもこの時の経験があるので、これ以上の気持ちになるなら自分を優先して守ってあげなきゃとか本気で考えるようになりました。

2度目の大学生活。

そんなこんなで私は大阪の音楽大学に入学しました。

本格的にクラシックを学びながらピアノ、声楽、先生になってからのためにギター、お琴、リコーダーなんかも学びました。音大生って進路が別れるんですが、卒業してもバイトしながらフリーで演奏活動する人、音楽はスパッとやめて企業に務める人、先生になる人、主にこんな風に別れます。私は先生になるき満々でしたが音大生って採用試験とか就活にかなり疎い(ごめんなさい)ので、ぶっちゃけ現役で採用試験本気でやる人は、変わりもの。私もかなり変な人扱い。専門の楽器も単位ギリギリでしかやらなかったし練習も最低限。では何をしてたかと言うと、午前中は小学校にボランティアにいきいろんな教室ぞいて先生の授業の技を盗んでノートにひたすらメモしたり子供と遊んだり喧嘩を止めたり。。昼からは大学の授業(ボランティアのために全て午後からにしました)空きコマに練習をして授業後は公務員試験の予備校(T京アカデミー笑)休日は朝から晩まで予備校。そしてたまに家庭教師と塾と学童保育のバイトもしてました。大学生は人生の夏休みとか言うけれど正直、高校も大学も忙しすぎて遊んだ記憶がほぼないです。だからこそ、このスケジュール管理能力が先生になってからすごく生かされてます。どんなに仕事が忙しくても学生時代よりしんどいと思ったこともないし逆に仕事しかすることがないから、社会人めっちゃ楽!って本気で思ってました。

切磋琢磨できる仲間。

私は先生になるために、予備校に通っていました。ここでは同じく高い志で教師を目指す人たちと出会えました。自分に投資することを学んだ最初はここなように感じます。採用試験は一人で勉強したって合格できる。でも切磋琢磨できる環境と出会いに投資する。

その経験になりました。

「魅力的じゃないねん。」

この頃には私も少しづつ恋愛できるようになっていました。でもここでも私はこじらせます。大学の友達に紹介された男の子と何回かデートをして電話でも盛り上がり、いい感じだったのですが私が気持ちが強すぎてバランスが合わなくなりました。

そして見事に振られました。その時に普通はそこで終わるのですが、その男の子には今でも本当感謝していて、ちゃんと理由を言ってくれたんです。しかもその理由が建前じゃなくかなり本音、当時は心底気づついたけど、今は本当に感謝してます。

「お前はめっちゃいいこ。可愛い。でもな、魅力的じゃないねん」この言葉今でも鮮明に覚えてて最初は、は?なんなん?としか思えませんでしたが今では痛いほど意味がわかるし、核心ついてるし恋愛は結局、彼のゆうこの魅力の部分がないとうまくいかないってことも今ならわかります。そこからまた自分の恋愛観が大きくかわりました。

先生になりたいんじゃない。担任の先生になりたいねん。

晴れて合格し先生になった私。

私の働く自治体は、4月の一日に市役所でどこの学校になるか教えてもらい、そのまま学校で担当を聞くとゆう形でした。何年生かな?とわくわくしていると言われたのは、音楽の先生。

唖然としました。小学校の担任を持たず音楽の先生をする場合は中学の音楽の免許のみでも可能なんです。でも私は小学校で担任をしたかったので、わざわざ通信にも通い免許を取得しました。なので、いままでの苦労はなんだったのか、、私は採用試験に現役合格したかったんじゃない担任の先生がしたかった。だから、辞めて採用試験の合格を辞退することは平気でした。こうして私は1週間で現役合格した自治体の先生を辞め、臨時の担任ができる別の所で担任をすることになりました。

「だって先生こわくないやん。」

晴れて三年生の担任になった私。私は自信満々でした。なぜなら現場のボランティアにたくさん行ったし採用試験も4つの自治体で現役合格していたし、何より誰よりも熱心に暑く真剣に学んだ自信があったから。でもこの自信がのちにいけなかったと気づくことになります。最近ボランティアや実習に来る学生さんを見てもこの傾向って強いかなと思っています。特に教育系大学の学生さん。当時の自分やそんな方に言いたいことは、「クラスを統一するのってそんなこと関係ないですよ。」ってこと。統一って言葉をあえて使いましたが、どんなに綺麗事を並べても結局は担任の統一ができてないと崩壊するし、自由な活動も自由でなく我がまま集団になるだけ。はじめの姿勢がかなり肝心。と言うかはじめをちゃんとしてたらあとはある程度緩くても子供は問題行動をしません。一年目の私は保護者の方からしても子どもからしても不安な先生だったと思います。でもこの経験がきっかけで、私は学級経営について集団づくりについて学び実践し、気がつけば先生たち100人以上にむけて教育実践報告をセミナー講師としてする側になっていたり執筆までするようになりました。

結婚すると思ってた。

先生の仕事も順調にいきつつ、そのときに付き合って2年半になる彼氏がいました。相手は同じ教員。本気で結婚すると思ってました。でもこのときの私の恋愛は、愛されすぎて与えられすぎてそれが当たり前になっていた。相手の方が結婚願望があった。私はまだ遊びたかった。お互い安定した正採用の教諭。普通すんなり結婚にいくはずでしたが、わたしのわがままが過ぎて、彼も限界にきたんでしょうね。つうちゃんは俺がいなくても楽しそう幸せそう、俺より仕事もできる。と振られました。今思うと彼を男性としてたてたりできてなかったし、あんまり仕事ができない彼をどこか頼りないと思ってました。絶対結婚するだろうと思った相手を失って、わたしはもう結婚できないと本気で思いました。

ちなみにこのお相手とは1度別れて復縁をしました。本気で復縁したいと望んで本気で試行錯誤をして復縁をすることができました。それでも今思えばお互い別々の道を歩むべきだったからこそ復縁したにも関わらず結婚まで至らなかったんだろうなと今は思います。

ダイエットと美容に目覚める。

そこから私はなぜか美容に目覚めました。

別れた理由と繋がってないのになぜか見返したいと思い、美にお金と時間と力をかけまくりました。そのおかげで15キロやせたし胸も二カップアップ。笑。女性の根性は凄いと心底思いました。筋トレ、痩身エステ、食事改善。この時学んで実践したノウハウには自信持もあり、ダイエッターの方のカウンセリングやアドバイスもこの事きっかけで始めるようになりました。その頃には彼への気持ちは全くなくなっていました。

退職。そして1番伝えたいこと。

生の仕事を難なくこなせるようになり転勤の時がきました。私はその時の職場が大好きだったので、すごく寂しかったです。でもこの事が良くも悪くもターニングポイントになりました。いや、今思うとよかったです。新しい学校は前任校よりも落ち着いていて学力も高い学校でした。私の担任するクラスは前年度に崩壊していたため、私が普通にクラスを運営するだけで保護者は喜んでくれるようないい状態。でもその学校の残業しない人は不真面目。みたいな雰囲気に耐えられませんでした。私が定時で帰ると、「え?何か予定あるの?」と言われる始末。細かくは書きませんが考え方がとてつもなく古く、私にとっては苦痛でたまりませんでした。そしてお給料の問題。働いても昇給は年序列。お金持ちにはなれない。子供と共に四季折々の行事を経験して素敵な1年を過ごすけど、でも先生はまた振り出しに戻る。これをおばあちゃんになるまでするのかと考えると、一旦違うことをしたくなりました。そこで私はコミュニケーションには自信があったのでベンチャーの営業職に勤めることになりました。

このこときっかけで私は一旦教員を辞めました。でも正直今でもこれ以上素敵な仕事はないと本気で思っています。いつか先生に戻ったら辞めてから経験したことも伝えたいし、辞めたからこそ伝えられることも伝えていくつもりです。現場の先生を否定するつもりは全力でありません。でも私は今の義務教育の在り方や先生の在り方については疑問もたくさんあります。先生こそもっといろんな世界を知って伝えてあげるべきです。将来の夢は職業じゃなくても良い。嫌いな人がいても良い。先生に言われたことをやるロボットが良い子じゃなくて考えて行動できる子がいいこ。激務に追われて病む先生、保護者にもベテラン先生からも叱られしんどい思いをしている若手の先生、そんな先生にもっと気楽に楽しく働いてねって伝えたい。これは私が今もこれからもずっと思っている1番大切な伝えたいことです。

初めての就活と一般企業。

私はベンチャー企業なら新しい働き方、そして結果が数字で返ってくる仕事がしたいとベンチャーの営業職に勤めました。この時人生初の就活をしました。驚いたのはその内定率の高さ。なんと12社中10社内定。しかもその場で即採用。しかも遅刻したり履歴書忘れたりして時間なくてすっぴんで行ったりしても採用。もちろんダメですが。。それくらいの採用率。志望動機も稼ぎたい。それだけです。のオンパレード。飾らなくても本心だと響くのかなって思いました。ベンチャーだからなのかもしれませんが。

そこで人生初の私の企業生活がスタート。そして1週間で退職。テレアポは意外と苦痛じゃなく経営者さんとも話が弾んだ。アポも取れた。でも上司は、メガホン持って応援。(え、部活?運動会?)就業時間前に声出し(え?運動部?)私がもし出世したらメガホン持って部下を応援するのかと考えたら、違うと思いました。その他諸々あって退職。人生初の一般企業生活が終わりました。

そして、今。

そんなこんなでいろんなことをやって今に至ります。続いていること、やめたことたくさんあります。将来やろうとしていることもたくさんあります。

ライフスタイルとしての私の夢は大好きな大阪と東京とでディアルライフをすることでした。なのでその生活を考えると在宅や場所を選ばずできる仕事と言うことで今はライターやら電話相談カウンセラーやら占い師やら他にも色々やってます。

私は他の人と比べて発信の軸がないなって思ってました。発信したいこともたくさんあるから絞れない。でも自分にしかない物語がある。それを知ってもらうことで私の発信にも一貫性ができる。だから良いことも悪いことも自分の人生を変えた出来事をピックアップして書きました。私にとって大きな軸は「女性と子どもの幸せ」だから私は自分に大きく影響を与えた「教育・美容・恋愛」について発信しているんだなと後から気づきました。全部全部繋がっている。これから挑戦することもきっと全部繋がる。これを読んでも私のことを知るくらいで何もメリットはありませんが、少しでも私が美容について発信するのはなぜか、教育について、恋愛について発信するのはなぜか知ってもらえれば嬉しいです。

長くて読み苦しい文章を読んでくれた方本当にありがとうございます。私は人の人生のストーリーを聞くのが大好きなのでぜひあなたの物語も聞かせてください。

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Tsugumi

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